【三良坂フロマージュ物語・前編】大阪育ちの少年が目指した「牛にも人にも環境にも負担が少ない」酪農の姿
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広島県三次市(みよしし)三良坂町(みらさかちょう)。人口1,700人弱のこの町に、チーズ工房「三良坂フロマージュ」があります。
このチーズ、国内はもちろんフランスのコンテストでも賞を取っており、チーズ好きの間で知られる存在になっているのです。
このチーズは一体どんな場所で生まれているんだろう。
それを探るために、三良坂町を訪ねました。
自然の中で遊んだ子ども時代の経験から酪農へ

三良坂フロマージュ代表の松原正典さんは、1974年生まれの大阪育ちで、家は米屋を営んでいました。
子どもの頃は夏休みや冬休みなどの長期休みになると、お母さんのふるさとである三良坂で過ごしていたそうです。
(以下、松原さん)
親戚の子どもたちと一緒に川遊びや虫取り、雪遊びをしていました。
堆肥の中にいるミミズをもらって釣りをして、親戚の田んぼや畑の作物を食べて。
都会では味わえない、自然の中での遊びが楽しかったんです。
高校卒業後は広島県庄原市(しょうばらし)の農業技術大学校へ進みました。
子どもの頃に見ていたアニメ「〇〇〇〇の少女●●●」の影響や、三良坂の自然へのあこがれの気持ちもあって、「これからは農業の時代」と思ったんです。
動物が好きだったので、酪農コースを選びました。
でも、卒業後に酪農をする気はちっともありませんでした。
だって、勉強するにつれ、牛は1頭100万円、機械は1台1,000万円、さらに建物にも何千万円とかかるとわかるわけです。
ゼロから農業を始めるなんて、僕には無理だと思いました。
海外研修で見えた理想の酪農のカタチ

珍しいヤギのソフトクリームやおいしいチーズを目当てに、次々とお客が訪れていました
その農業技術大学校には、海外で研修できるプログラムがありました。
本気で農業をやろうと思ったわけでなく、単純に、外国の空気を吸ってみたいとか、好きだったアメリカの音楽を本場で聴いてみたいとか、そんな動機でした。
英語ができなくてもなんとかなると聞いて、じゃあ行くかと。
1年間アルバイトをしてお金をため、アメリカへと旅立ちます。
ネブラスカ州にあった研修先は、150頭の牛を飼育する、比較的規模の小さい牧場でした。
ミルクを生産するだけでなく、牛に食べさせる草やトウモロコシも作り、それらを餌として出荷もしていたそうです。
牧場があったのは「本当に何もないような田舎」。
仕事は想像していた以上に忙しく、毎日遅くまで働きました。
週1回の休みは町への買い出しだけで終わり、音楽を聴いたり遊んだりする暇などほとんどありませんでした。
ほぼ牧場と家と買い出しだけの2年間でしたけど、若いうちは海外で息をしているだけでも成長するんですよね。
小さな牧場だったけれど、彼らは幸せそうにプライドを持って一生懸命仕事をしているんです。その姿を見て、ふと、この仕事をずっとやってみるのもいいかもな、って思いました。
チーズを初めて作ったのも、このときでした。
「ミルクはいくらでも飲んでいい」と言われていたので、食費を浮かせるために5リットルくらい持ち帰って、料理に使っていたんです。
ここで覚えたのが、牛乳に酢を入れて作るチーズ。
インドの『パニール』ですね。モッツアレラチーズや豆腐に近い感じで食べます。
このときはまだ、将来自分がチーズを作るなんてまったく考えていなくて、ただ安く食料を手に入れられる方法として、生活の知恵みたいな感じで作っていました。
アメリカから帰国すると再び1年間アルバイトをして資金をため、今度はオーストラリアの大規模牧場で学びました。
そこでは、数千頭の牛を3人で管理していました。
面接に行ったらその場で「じゃあ明日は朝2時に来てくれ!1,000頭の牛の乳をしぼるよ」と言われてびっくりでした。
ここで僕は、生涯忘れられない体験をしたんです。
大きな牧場ですから、命の終わりに立ち会う機会も多くあります。
ある日、亡くなってしまった牛を運び出す作業をしていたとき、牛たちがぐるりと周りを取り囲みました。普段はおとなしい牛たちが、ボォーボォーと怒りを含んだ声で鳴いたんです。
「私たちはあなたたちのために毎日ミルクを出している。でも、あなたたちは私たちを大切にしてくれている?」
そう言っているように感じました。
その場を何とか離れて家に戻りましたが、牛たちの声が頭から離れず、涙が出て来ました。
「俺に言うなよ!文句があるなら牧場のオーナーに言ってくれ!」と思いました。
牛たちにたっぷりと餌を食べさせ、たっぷりとミルクをしぼる。それが研修で学んだ酪農です。
しかし、本来、牛は20年くらい生きる動物なのに、この牧場の乳牛の寿命は4年ほど。
牛の体には大きな負担がかかっていると、松原さんは感じていました。
もしかして、牛たちは自分たちの苦しみを、オーナーじゃなくて僕に伝えたかったんじゃないか、と気づいた瞬間、パチッとスイッチが入りました。
そうだ、僕がやればいいんだ!と。
牧場で働く人も幸せに暮らせて、消費者も幸せで、牛や環境への負荷も少ない。
そんな酪農を、僕がやればいいんだと思ったんです。


ブランコやベンチもあり、家族連れもゆっくりと過ごせます
山地酪農との出会い
そのとき松原さんは24歳。自分の目指す酪農についてさらに考えました。
アメリカの自然は厳しく、内陸部では雨がほとんど降りません。でも、日本は雨が多く、豊かな緑があります。
自然の草を食べさせれば、餌を輸入せずに済むから、輸送のためのエネルギーを使わない。
そうだ、放牧がいい。
その中でも、山に牛を放つ山地(やまち)酪農が、自分のやりたい酪農のかたちなんじゃないだろうか。
そう思いました。
松原さんは帰国したその足ですぐ、山地酪農を実践している人を訪ねました。
中編では、松原さんのチーズがフランスのコンテストで入賞するまでをたどります。
【今回訪れた場所】
🌐三良坂フロマージュ(広島県三次市三良坂町仁賀1617-1)
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