【前編】酪農の面白さに出会った1週間【ウエシバユウタの酪農日誌 vol.2】
こんにちは。「milushi みるし」の高校生ライター、上芝雄大(ウエシバユウタ)です。
和歌山県の牧場で育った僕ですが、全国の牧場を巡るなかで「酪農って、僕たちが思っている以上に自由で、もっと可能性があるんじゃないか」と感じるようになりました。
そんな僕の考え方を根っこから揺さぶってくれたのが、岩手県の山奥にある「なかほら牧場」での体験です。
そこで見た景色は、僕の想像をずっと超えたものでした。
「酪農の本当の面白さって、こういうところにあるのかも」……そんなふうに感じた1週間のことを、お話します。
辺り一面の雪景色!びっくりだらけの研修初日
僕が1人で岩手へ向かったのは、中学3年生の終わり、2023年3月のことでした。
「もっと広い世界を見てみたい」という一心でしたが、正直、これほど圧倒されるとは思ってませんでした。
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目的地の岩泉町に着いた瞬間、目に入ってきたのは、見渡す限りの雪。和歌山育ちの僕は初めての景色にワクワクが止まらなかったのを今でも覚えています。
(同世代のみなさん、もしどこかへ研修などで飛び出してみたい気持ちがあるなら、長期休みなどは自分を変えてくれる最高のタイミングですよ!)
特に驚いたのは、そこでの牛たちの暮らしぶりです。なかほら牧場には「牛舎」がありません。
その代わりに、牛たちは一年中、広い山の中で自由に過ごしています。「山地酪農(やまちらくのう)※」というスタイルです。
※山地酪農:365日24時間牛を山で放牧する飼育方法
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「山地酪農」は山に牛を放すことから始まります。牛たちは山の雑草やササをムシャムシャと食べ、力強く歩き回ります。
すると、牛の蹄(ひづめ)で地面が適度にかき混ぜられ、糞尿が肥料となって、数年後には山が美しい芝生の広場へと変わっていくのです。
人間が機械で切り開くのではなく、牛の活動そのものを利用して牧場を作り上げるのが大きな特徴です。
「常識外れ」と言われた40年のチャレンジ
でも、どうしてこんなにも自然の力を活かした牧場が作れたのでしょうか。
研修中に聞いたお話は、僕の心に深く刺さるものでした。
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創業者の中洞正(なかほら ただし)さんが、この山に入ったのは1984年だそうです。
当時は電気も水道もない、ただの山。
それを、大きな機械で切り開くのではなく、牛の力を借りながら十数年もかけて少しずつシバ草地に変えていったのだとか。
当時は「そんなやり方で牛が飼えるわけない」と、周りから反対されたり、無理だと言われたりすることも多かったみたいです。
借金などの苦労も絶えなかったそうですが、それでも中洞さんは自分の信じる道を歩み続けました。
それが今では牛の幸せを考えた飼育方法を続ける牧場として、『アニマルウェルフェア』の考え方に共感する人々から注目されています。
1つのことを信じて続けることの重みを、僕も少しだけ分けてもらったような気がします。
親元を離れて、酪農と本気で向き合った1週間
そんな特別な場所で、僕は1週間の研修を経験しました。
家が牧場とはいえ、恥ずかしながら搾乳(さくにゅう)などの作業はほとんど未経験。
※搾乳(さくにゅう):乳牛などの家畜から乳をしぼり採取する作業のこと
しかも一人暮らしのような状態で、洗濯も炊事も全部自分。
最初は「本当にやっていけるかな」と不安でいっぱいでした。
でも、現場スタッフのみなさんが、まるで本当の兄や姉のように温かく迎えてくれたおかげで、いつの間にか不安は消えていました。
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何より印象的だったのは、スタッフのみなさんの「眼差し」です。
作業をこなすだけじゃなく、「どうすれば牛がもっと心地よく過ごせるか」「この山をどう守っていくか」を、みんなが自分事として考えているように見えました。
そんな熱い人たちとは、今でもつながりがあります。
この時にもらった言葉や出会いは、僕にとって何物にも代えがたい宝物になったんじゃないかな、と思っています。
ただ、実は一つだけ心残りがあったんです。
僕が伺ったとき、中洞さんはすでに引退されていて、お会いすることができませんでした。
「いつか直接お話ししてみたい」。
その願いが、2年後に思いもよらない形で叶うことになるのですが……そのお話は、また後編で。
【編集部注】
酪農には、地域や環境によってさまざまなスタイルがあります。本記事は、筆者が体験した一例を通じてその多様性を紹介するものであり、特定の飼養方法を推奨する意図はありません。




