【日本ミルク史入門 vol.2】横浜に毎日ミルクを飲む人が突然出現⁉【江戸時代~開国】
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はーい、こんにちは~🐮🥛自称「酪農リスペクター」のミルカウ姐です!
みなさん、牛さんからいただくミルク=牛乳、飲んでますかー?
今回は、私たちの暮らしにつながる「日本のミルクの歩み」シリーズのvol.2です!
Vol.1では、40年以上日本の酪農乳業に関わり、2025年11月には著作「日本酪農産業史」を世に送り出した前田さんに、日本ではミルクがいつから食べられていたのか、古代から明治時代までのできごとについてお話しを伺いお送りしました。
日本のミルク史vol.1 🌐日本でミルクが食べられたのは、いつから?【古代~江戸時代】
今回は、現在の酪農とミルクの事情にとっても重要な転機となった、江戸末期についてがテーマです。
前田さんの最新の見解も織り交ぜながら、私たちの暮らしにつながる「ミルクの歩み」を、わかりやすく解説します!
【前田 浩文さんプロフィール】
1955年宮崎県生まれ。
宮崎大学農学部卒業後、社団法人中央酪農会議、一般社団法人Jミルクなどに在籍し、約40年間に渡り酪農乳業界に貢献。元一般社団法人Jミルク専務理事。
現在は、ミルクを楽しみ愛する人たちが集まり、人とミルクの関係史とその中で培われてきた多様な価値を考究、ミルクの新たな価値の創造と日本における乳文化の発展を目指す「ミルク一万年の会」代表世話人であり、「乳の学術連合・乳の社会文化ネットワーク」幹事、「日本酪農乳業史研究会」常務理事などを務める。
- 現在のミルク史につながる重要な場所、南房総!
- 日本のミルク史における転換点は、日本史上でも重要なある出来事
- 近くて牛を飼った経験者がいる・・・そう、あの場所です!
- 次回予告
- 【お知らせ】6月は「牛乳月間」! 1日限りの南房総ミルクツーリズム
現在のミルク史につながる重要な場所、南房総!
昭和38年(1963年)、千葉県は「日本酪農発祥地」として南房総の「とある地域」を史跡に指定しました。
南房総エリアは千葉の南端にある、チーバくんで言えばポッコリ下っ腹の下の部分のこと。
「とある地域」とは、前回の記事で登場した、江戸幕府 八代将軍の徳川吉宗がめずらしいインドの白い牛、白牛を育てた「嶺岡牧(みねおかまき)」があった場所です。
南房総の嶺岡牧が、「日本の酪農の始まり」にひじょ~~~に重要な場所として史跡指定されているのです。
前田さん「嶺岡牧は、酪農が始まった場所というより“酪農の拡大を支えた場所”と言えるかもしれません」
酪農の拡大を支えた場所・・・「始まり」とはどう違うのでしょうか・・・?
前田さん「南房総がミルク史において「酪農の拡大を支えた」存在だったのは、乳牛を飼った経験と技術が、この地域の人に残ったからです」
たしかに乳牛を育てるには、エサの与え方、体調の変化、出産のタイミング、ミルクをしぼる方法・・・などなど、経験を通じてしか身につかない知識が必要ですね。
でもそれがミルク史において、どうしてそんなに大切な意味を持つのでしょうか?
日本のミルク史における転換点は、日本史上でも重要なある出来事
ちょっとここで、南房総のことを理解するために知っておいたほうがいい、ミルカウ姐が苦手な「有名な日本の歴史」の話を・・・(がんばります)。
日本では、江戸幕府が終わって明治時代に入ると、急に多くの外国人が暮らすようになりました。
なぜ急に暮らし始めたのかというと・・・・・・そう、かの有名な「開国」です。
1600年頃に江戸時代が始まり30年。
幕府は日本人の海外渡航を禁止し、外国船の来航を制限、そしてポルトガル船を1639年に締め出し、「鎖国」状態を作りました。オランダと中国だけが貿易を許され、長崎に「出島」を作ったのはとても有名ですね。
そして鎖国から200年とちょっと後、1800年代の半ば。
海からやってきたのは、黒船のペリーさん、アメリカ海軍のえらい軍人さんです。
見たこともない武力装備の船(いわゆる“黒船”)で、「開国しないとやっちゃうよ~」って言ったとか言わないとか(たぶん言ってないと思います)。
当時、財政が非常に苦しかった江戸幕府。
武力では勝てないし、国内は飢饉(ききん)で大変なことになってるし、とりあえず、「争わない道」を選んだ結果…「日米和親条約」を結ぼう!となりました。
それが「開国」です。
この条約、「日本とアメリカは仲良くしようね」という内容(和親)なんですが・・・実のところ、船の寄港と補給、難破船やその船員の救助しか許してなかった…
って、知ってました?※
(もちろん歴史が苦手なミルカウ姐は、知っているわけありません)
※出典:国立国会図書館 国際こども図書館「中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典」日米和親条約
じゃあ実際に外国人が急に日本に暮らしだしたきっかけって何だったのかというと・・・
「日米修好通商条約(安政の五カ国条約)」。
でた!
歴史で苦手な理由の1つ。耳慣れない漢字がいっぱい!
にちべーしゅーこーつーしょーじょーやく。
早口言葉なの⁉
日米和親条約では通さなかった、『アメリカ側の要望である「日本とアメリカ間の、両方向の貿易(交易)」を開始しますよ~』という約束。
そしてなんと、それにプラスして、イギリス、フランス、ロシア、オランダとも条約を結び、神奈川(横浜)・長崎・兵庫(神戸)・函館・新潟で外国人居留地を設置することが決まりました。
そして条約を結んだ翌年、早速外国人居留地ができたのが、横浜、長崎、函館。(行動が早い!)
・・・ふう、日本の歴史の解説終わり!ここからは、日本のミルク史に戻ります!
近くて牛を飼った経験者がいる・・・そう、あの場所です!
開国時におきた現象のうち、前田さんが注目しているのは横浜の居留地で生活を始めた“外国人の食生活”。
前田さん「横浜の居留地はイギリス人が多く、家族と一緒に駐在していました。彼らはミルクを毎日飲む文化があったんです」
彼らの食生活で重要だったのが、長旅での保存に耐えるバターやチーズはもちろんのこと、新鮮なミルクだったのです。
前田さん「だから彼らは、船で乳牛を連れてきて、居留地で飼いながらミルクをしぼり始めたんです」
前田さん「でも、日本に駐在している彼らは、祖国と日本の関係作りを使命としています。牛を飼ったり、子牛を育てたりすることが本来の仕事ではない。なので、日本で「牛を育てられる人」、そして「ミルクをしぼることができる牛」を求めました」
そんなわけで、南房総の嶺岡牧と、そこで乳牛を育てた経験と技術を持つ「牧士(もくし)」(幕府に牧の管理を任されていた地域の有力農民)や「勢子(せこ)」(牧士の配下で牧の仕事をしていた農民たち)が外国人や政府から熱い視線を集めます。
前田さん「横浜と南房総が船で行き来できる距離だったことは、人を運ぶ面でも、牛を運ぶ面でもメリットがあったはずです」

このようにして開国後に新たに生じたニーズを受け、南房総で子牛を育て、ミルクがしぼれるようになったら横浜や東京へ連れて行くという、現在でいう「育成牧場」がスタート。
そして「牧士」達は横浜に行って住み込みながら牛の世話をし、ヨーロッパが持っていたミルクをしぼる技術や設備の知識、ミルクの殺菌・加工方法を習得していきます。
そうしてレベルアップしていく牧士たちは、ふるさとの南房総や東京などの近隣地に広がり「ヨーロッパの技術ってすげーんだぜー」と知識や技術を伝えていきます。(言い方は違うかもしれませんが)
そう、横浜を中継地点として、ヨーロッパのミルクの知識と技術が広まっていくのです!
この南房総の「育成牧場」のスタートと、「ヨーロッパのミルクの殺菌・加工技術」の伝承。
近代の酪農乳業界の成り立ちに、とても大きく影響しているのです!
次回予告
江戸末期の「開国」という日本の歴史でもターニングポイントとなった出来事は、日本のミルク史においても、「毎日飲みたい人が住みだした」という点で、さまざまな影響を及ぼしました。
南房総と横浜の間ではじまった、牛を飼う人と技術、ミルクをしぼり加工する技術の往来は、やがて酪農の拡大と乳製品の大量加工へと結びついていきます。
でも、そこにはミルクの最大の敵である「アイツ」が立ちはだかっていました。
次回、ミルクの最大の敵とは⁉ そして、「ミルクを広めたヒーローはだれだ!」の巻、どうぞお楽しみに!
それではみなさまご一緒に!
GoogLuckKnow(ぐっどらくのう~)!♬
【お知らせ】
6月は「牛乳月間」! 1日限りの南房総ミルクツーリズム 6/13開催
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