【日本ミルク史入門 vol.3】ミルクを広めたヒーローはだれだ 【明治時代~大正初期】

日本ミルク史入門 vol.3 日本でミルクを広めたヒーロー出現! 明治~大正初期編

はーい、こんにちは~🐮🥛自称「酪農リスペクター」のミルカウ姐です!

みなさん、牛さんからいただくミルク=牛乳、飲んでますかー?

学校の給食や、毎日の食卓。カフェで飲むラテや、観光地で楽しむご当地のソフトクリーム。

学校の給食や、毎日の食卓。カフェで飲むラテや、観光地で楽しむご当地のソフトクリーム

現代に生きるわたしたちにとって、ミルクは生活の一部になっています。

日本でミルクが日常になるまで」を、歴史が苦手なミルカウ姐が精一杯解説してきた「日本ミルク史入門」シリーズ

Vol.3は「ミルクを広めたヒーローはだれだ⁉」です。

前回vol.2の記事では、わたしたちの日常に近づくためにもターニングポイントとなった日本の動き、江戸末期の「開国」と、南房総の「嶺岡牧(みねおかまき)」との関係をお話ししました。

日本が「開国」をするまで、一部の人しか口にしていなかったであろうミルク。
開国直後に横浜にお引越ししてきた欧米人の食生活である「フレッシュなミルクをゴクゴク飲む文化」が登場し、日本でミルクが広まっていく「きざし」が見えてきました。

Vol3では、その「きざし」に立ちはだかる、ミルクの最大の敵であるラスボスの「アイツ」と、それに打ち勝つヒーローが登場します!

相変わらず歴史が苦手なミルカウ姐が、おおよそ?2分でわかる解説にしたので、ぜひ最後まで読んでいってください!

【過去記事はこちら】
日本でミルクが初めて飲まれたのはいつ?(vol.1)や、日本の歴史の重要なターニングポイントだった「開国」と酪農・乳加工、南房総の関係は?(vol.2)など、まだ読まれていない方はぜひ読んでいただいてから、このvol.3を読んでいただけるとより分かりやすくなっております!ぜひに!

日本のミルク史入門 vol.1 🌐日本でミルクが食べられたのは、いつから?【古代~江戸時代】
日本のミルク史入門 vol.2 🌐横浜に毎日ミルクを飲む人が突然出現⁉【江戸時代~開国】

今回のシリーズでは、40年以上日本の酪農乳業に関わり、2025年11月には著作「日本酪農産業史」を世に送り出した前田さんに、ミルカウ姐が直撃取材!

前田さんの最新の見解も織り交ぜながら、私たちの暮らしにつながる「ミルクの歩み」を、わかりやすく解説します!


【前田 浩文さんプロフィール】

1955年宮崎県生まれ。
宮崎大学農学部卒業後、社団法人中央酪農会議、一般社団法人Jミルクなどに在籍し、約40年間に渡り酪農乳業界に貢献。元一般社団法人Jミルク専務理事。
現在は、ミルクを楽しみ愛する人たちが集まり、人とミルクの関係史とその中で培われてきた多様な価値を考究、ミルクの新たな価値の創造と日本における乳文化の発展を目指す「ミルク一万年の会」代表世話人であり、「乳の学術連合・乳の社会文化ネットワーク」幹事、「日本酪農乳業史研究会」常務理事などを務める。


  1. ミルクが広がるのを止めていたラスボス
  2. ミルクを広めたヒーロー、とうとう登場
  3. 広がろうとするミルクに立ちはだかった壁と、地方での新たな展開
  4. 増加した小さな練乳工場は、やがて
  5. まとめと次回予告
  6. 【お知らせ】6月は「牛乳月間」! 1日限りの南房総ミルクツーリズム
 

ミルクが広がるのを止めていたラスボス 

開国後に開始した外国人居留地から始まった、ミルクを飲む習慣。
さらにミルクが広まるためには、最強のラスボスを倒す必要がありました。

そのラスボスとは、「時間」です。

今のように食品を冷やして保存したり、無菌状態でパッケージする技術がなかった当時、しぼったミルクはその日のうちに使うしかありませんでした。
ミルクは栄養がたっぷりなうえ水分も多く、細菌が増えやすいため、そのままではすぐに腐ってしまいます。

ミルクの最大の敵は時間

外国人居留地の近くには牛がいたそんなわけで、新鮮なミルクをそのままでゴクゴク飲みたい外国人居留地では、住まいの近くで牛を飼っていました。
 
そのうち旧幕府の都心部に外国人が暮らし始め、その需要に対応して都心部でも牛を飼いだすケースも出てきました。

明治天皇が牛乳を飲んでると報じる新聞1871年には「明治天皇が牛乳を飲んでいる」と新聞に掲載され、注目を集めるようになります。

でも相変わらず、遠方ではミルクをそのまま飲むことはできなかったんです。

Vol.2で登場した、徳川吉宗が南房総の嶺岡牧(みねおかまき)で作らせた“栄養たっぷりで、薬になるよ”という触れ込みを使って、江戸幕府でリリースされた高価な「白牛酪(はくぎゅうらく)」も、保存性を高めるために水分を飛ばす加工をしていました。

実は…蘇のような「ミルクをあたためて水分を飛ばす」方法なんですが、ミスって焦げてしまったり、うまくいっても、口に入れるとジャリジャリした感じのものが出来上がります。
一応ミルカウ姐は乳業メーカーの社員なので科学っぽいこと言いますと、ミルクに含まれている甘みの成分「乳糖」という糖分が結晶化します。

なんといいますか、食べて「ミルクめちゃくちゃ美味しい!!」という感じじゃなかったと思うんですよね。「栄養たっぷりの薬っぽいやつ」として、ちょっとずつありがたくいただく感じだったのではないかな~とミルカウ姐は想像してます。

まさに時間はミルクの最大の敵。

 

ミルクを広めたヒーロー、とうとう登場!

そこで開国後にさっそうと登場したのが、ミルクに砂糖を加え、煮詰めて作った「練乳」です。

練乳のイメージ
練乳のイメージ。ちなみにイチゴはオランダから江戸末期に導入、当時イチゴに練乳をかけて食べたかどうかは分かりませんが、実現していたら超×10高級品だったと思います

実は練乳って、“煮詰めて作るだけじゃない水分を飛ばす技術”があってはじめて実現したものなんです。

練乳、もちろんみなさん食べたこと・・・ありますよね?

トローリとした液状で、口当たりもよく、ミルクをしっかり味わえる練乳。当時は、「はじめての美味しさ!」だったはず。

そして練乳が開発された1857年。

そう、1857年…歴史が得意なみなさんは、きっと覚えていることでしょう。
実質的な開国につながった「日米修好通商条約」が結ばれた前年です。
(歴史が苦手なミルカウ姐はもちろんvol.2を見直しているので覚えていてなくても問題なしです!)

外国では、練乳を缶詰にしてさらに保存性を高め、乳児の栄養食や、1861年から始まった南北戦争の兵士の携帯食として大人気!その勢いで、「輸入品」として日本に多く出回るようになります。

当時、輸入で日本に入ってきたものは「舶来品(はくらいひん)」と呼ばれて、西洋文化への憧れや、最先端の「ハイカラ」なアイテムとして、当時のお金持ちたちや都市部で流行していったそうなので、「練乳」もそうした扱いだったのかも。

明治に入り西洋文化がブームになり、練乳なども輸入が拡大

都市部で入手しためずらしいものを、「ふるさとへの手土産」として地方に持ち帰るようなこともきっとされてたんじゃないかな? 

練乳から作るお菓子の代表、キャラメル
練乳から作るお菓子の代表、キャラメル

練乳は、傷みにくくて、遠くまで運べるミルク。

さらに、料理やお菓子にも使えたという、まさにミルクのヒーロー。

ミルクは「飲みもの」か「薬みたいなもの」から、遠い場所で原料としても使えるよう進化したのです。

そんなヒーロー、練乳。

わりと早い段階で日本で「自分たちで作れないかなー」と挑戦する人が現れました。

日本で初めてミルクをしぼって販売し始めたと言われる人、横浜の実業家 前田留吉さん(今では業界の有名人)。
1869年には練乳の製造に挑戦しています。今でいう「スタートアップ起業家」。相当なチャレンジャーだし商才あってすごい。

1884年には辻村義孝・村瀬六太郎が「東京煉(※)乳会社」を設立。そしてなんと同年に、南房総の安房(あわ)地域でも根岸新三郎が生産を始め、1893年には「安房煉乳所」を開所。国産の練乳が本格的に流通しだすようになります。

※煉:練(常用漢字)の旧字体

でも当初は、流通する練乳の大部分は輸入品だったみたいです。
「舶来品」ブームの一方で国産は始まったばかり・・・そういったことが関係しているのかもしれませんね。

 

広がろうとするミルクに立ちはだかった壁と、地方での新たな展開

練乳というヒーローが登場したおかげで、日本に広がりはじめたミルク。
ところが、急にその広がりをストップさせた出来事が起こります。

1914年 第一次世界大戦の開戦です。

戦争が始まると国と国との行き来がなくなり、船が止まり、物が動かなくなります。開国以来ガンガン入ってきていた輸入品の練乳も、突然届かなくなりました。

練乳は保存性もよく、美味しく、栄養価も高く、お菓子の原料にもなる、すごい食品。

前田さん:「練乳が入ってこなくなったら、もう日本で作るしかない、って話になりますよね」

対象になり練乳が手に入らなくなると、国産がはじまった

「明治天皇が牛乳飲んでるよ」と触れ込んで国民の栄養状態の改善がしたかった政府も、「富国強兵」として乳牛の飼育とミルクの生産を奨励していました。

南房総のような牛を育てたことがある地域では、育てるための知識と技術があり、政府が奨励していることも手伝って、明治から大正にかけて乳牛の数が急激に増えていました。

前田さん:「牛の数が増えれば、当然ミルクの生産も増えます。それを集めて、需要があり、保存できる練乳にすることは商売にしやすくて、自然の流れだったはず。」

前田さん:「“ミルクは毎日コンスタントに生産できる”となれば、買うほうもコンスタント。安定した現金収入になるから、小さな練乳の加工工場が南房総などに一気に立ち上がってきたんです」

なるほど。ニーズに加えて政府の後押しが牛いっぱいの状況を作り上げ、ミルクの加工も大規模にできるようになった・・・と。

こうして南房総のような地域は、「牛を育て都市部に送り込む場所」から、「牛を育て、ミルクをしぼり、加工する場所」に役割が変わっていったというわけです。

 

増加した小さな練乳工場は、やがて

南房総では、1893年に始まった安房煉乳所をきっかけに、磯貝煉乳所や玉井煉乳所など、同じような工場がいくつも並んでいきました。

前田さん:「工場が増えて、その地域で生産されるミルクの取り合いや、価格のバラつきといった問題が起きたんです」

そこで1916~1917年、いくつかの工場が合併して、大きな会社が立ち上がります。
のちに、このWebメディア「milushi みるし」を運営をしている森永乳業となる「日本煉乳」や、「房総煉乳」です。

これらの会社は、それぞれの系列にあるキャラメルや洋菓子を作る製菓会社に向けて練乳を製造していました。
そのあとで、飲む用の牛乳を製造するようになり、会社が大きくなっていったのです。

明治~大正初期(1860年頃~1920年頃)の世界・日本の動きとミルク史

 

まとめ|社会に広がり始めたミルクとヒーローとなった練乳

Vol.3のまとめです!

開国後、ミルクの最大の敵は「時間」でした。

その敵を倒すため現れたヒーロー、練乳。そして練乳が広がったのは、需要が生まれていたからでした。

需要先は製菓業などの加工の現場。戦争によって輸入が止まり、国内で作らざるを得なくなったことも大きな後押しになりました。

こうしてミルクは、「その場で飲まれるもの」から、「加工され、運ばれ、使われるもの」となり、広がり始めました

しかーし!

広がり始めただけでは、ミルクは「日常」にはならないのです。
毎日、当たり前のように飲まれる仕組みがあって初めて、日常の風景になっていきます。

そのお話しはまた次回、vol.4「こうしてミルクは日常になった」の巻で!

それではみなさまご一緒に!

GoogLuckKnow(ぐっどらくのう~)!♬

 

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