100年続く牧場で、今日もミルクをしぼる ― 自らを「しぼりびと」と呼ぶ3代目の物語 ―
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前編では、山田牧場でモッツァレラチーズが生まれる工程を見学した様子をお届けしました。
後編では、そのチーズを生み出す牧場主・山田さんにお話を伺ってきた内容をお届けします。
【前編はこちら】
🌐新鮮なミルクがモッツァレラチーズになる瞬間をウォッチしてきた!
100年続く牧場を、3代目としてどのように続けてきたのか。
そして、その先にどんな景色を思い描いているのか。
牧場とともに歩む、山田さんの物語です。
受け継がれてきた100年

山田牧場のはじまりは、1925年(大正14年)。
京都で、家業として酪農が始まりました。
山田さんが幼い頃、牧場には明治生まれのお祖父さんがいました。
山田さんにとっては「頑固なおじいさん」でしたが、周囲からは「搾乳(さくにゅう)※の名人」と呼ばれる存在でした。
※搾乳:ミルクをしぼること
お祖父さんの背中をいつも見ていた山田さんは、自然と搾乳を覚えていきます。
山田さん「ここを引っ張ると乳頭(にゅうとう)が伸びてしまう。伸びると牛が踏んで怪我をする」
“力任せに引くのではない”と教わった感覚は、今も体に染みついているといいます。山田さんが自分を「酪農家」ではなく、あえて「しぼりびと」と呼ぶのも、その経験があるからです。
特別に学んだというより、暮らしの中で身についた技術でした。

その後、京都で50年続いた牧場は、1974年(昭和49年)に滋賀県・信楽(しがらき)へ移りました。
山田さんのお父さんが入念な準備をして、新しい土地での酪農が始まったのです。
しかしそのわずか半年後、お父さんが病気で亡くなりました。
山田さんが26歳のときのことでした。
選択の余地はなく「自分が継ぐしかなかった」と山田さんは静かに振り返ります。

外の世界を知り、牧場を見つめ直す
若い頃、山田さんには船に乗って世界を回ってみたいという夢がありました。
その気持ちは、酪農を続けながらも心のどこかに残っていたといいます。
その想いが再び動き出したきっかけは、イタリアでのチーズ作り研修に行けると聞いたことでした。山田さんは、すぐにイタリア行きを決めたそうです。
山田さん「イタリア人って、明るくてお酒を飲んでいるイメージでしたけど(笑)、全然ちゃらんぽらんじゃなかったんです。モッツァレラチーズは作ったその日のうちに食べないとだめだと決めているし、余れば別のチーズに作り直すんです。チーズに向き合う姿勢がとても真剣でした」
異なる食文化や仕事への向き合い方に触れた経験は、山田さんが自分の牧場や酪農を見つめ直すことにつながりました。

命のリレーを伝える牧場
山田牧場では、地域の保育園や学校からの見学を受け入れています。
牛を間近で見たり、触れたりしながら、酪農の現場を体験できる「教育牧場」としての役割を担います。
山田さんは、見学に来た子どもたちに、酪農の仕事のことだけではなく牛の一生についても隠さず話します。
わたしたち人間は牛からお乳をもらい、その牛はやがてお肉になると。

山田さん「あるとき、幼稚園の子たちが見学に来た時に『この牛は最後にお肉になるんですよ』と話したら、ひとりが泣き出してしまったことがあってね。そこまで言うべきか迷うこともあるんです。でも、ちゃんと伝えて、命を大事にしてもらわんと、という気持ちなんです」
牛を育てることは、命を預かること。
その現実を、次の世代にも伝えていきたいと考えています。

変わらない作業の、その先へ
山田さんは、最後にこんな話をしてくれました。
山田さん「22世紀には、銀河鉄道の貨物列車にチーズを積んで、アンドロメダで売れたら面白いですよね」
冗談めいた言葉ですが、夢を持ちながら酪農を続けている姿勢が伝わってきます。
日々の仕事内容は変わりません。毎日、牛の世話をして、ミルクをしぼる、チーズを作る。その繰り返しです。
一見すると同じ作業の連続ですが、2025年に100周年を迎えた山田牧場では、新しい乳酸菌を使ったチーズ作りなど、少しずつ挑戦が重ねられています。
その積み重ねが、山田さんが見ている未来へつながっているように感じました。
【取材協力】
🌐山田牧場 〒529-1812 滋賀県甲賀市信楽町神山2077




